2007年9月5日水曜日
商店地下に防空壕跡 札幌・二条市場そば
観光客でにぎわう札幌市中央区の二条市場近くの商店の地下に、忘れ去られた防空壕(ごう)跡がある。太平洋戦争が始まった一九四○年代、商品を貯蔵する石室を改造し、米軍機の空襲に備えていた。終戦から六十二年。時代は移った。札幌軟石の石室は今、外国人も足を運ぶ名所の地面の下で、倉庫として、平和な時を刻んでいる。 防空壕は二条市場向かいの業務用食材販売、桑原商店(桑原金蔵社長)の地下にある。同商店は一八九二年(明治二十五年)創業。防空壕の存在を知る人は今、同地域の商店街関係者にもほとんどいないという。 金蔵さん(83)の弟で仕出し会社会長の桑原金二さん(78)によると、四一年(昭和十六年)ごろ、大正時代に造られた石室を防空壕に改造した。広さが縦七メートル、横三・五メートル、高さ二・三メートルほど。壁は札幌軟石で頑丈に組まれ、空襲時には従業員ら十数人が避難できるようになっていた。 市場側の壁の右下には当時、外から防空壕に逃げ込む入り口とつながる地下道があった。地下道は人間がはって移動できるくらいの広さで、長さは約十メートル。「若いころ炭鉱にいた近所の人が一カ月かけて掘った」と、当時十歳だった金二さんは言う。金二さんの記憶によると、戦時中は二条市場にも防空壕が二、三カ所あったという。 幸い防空壕が使われることはなかった。金二さんは「予行演習で一、二回入ったくらいだったが、焼夷(しょうい)弾が直撃したらと緊張したのを覚えています」と振り返る。 終戦直後、地下道は土砂で埋め、入り口もコンクリートでふさぎ、防空壕は四年ほどで役割を終えた。再び本来の役割に戻った倉庫は「夏は涼しく、冬暖かいので商品の保管に最適」(同商店)として、今も現役だ。 「防空壕なんて使う時代が二度と来ないでほしい。世界の平和を祈りたい」。金二さんは倉庫に降りる階段を見ながら、静かに、力強く語った。(北海道新聞 引用)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿